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提言

「美を感じさせる電子出版」

ITC副所長 野寺 隆


 我々が自由に利用できるインターネットが誕生して20数年が経過したが、近年、爆発的に利用者が増え続けるスマートフォンでもemailやソーシャルネットワークサービス(SNS)や検索システムが利用できるようになり、便利な世の中になったと思う。

 先日、小林昭七先生の遺稿集「顔をなくした数学者」が出版された。思い出せば早いもので先生が2012年に亡くなられてほぼ1年が経過したことになる。先生は世界的に業績をあげられた数学者だが、私が知っている先生は、子供のような探究心に満ちた人柄の持ち主であり、晩年はやさしい微笑を学生や若い研究者に注がれていたように思う。今なお、大学の図書室のPCの前でemailを読んだり書いたりされている先生の面影が脳裏を離れない。最近、この本の中に「便利な世の中」という章があることに気が付いたのだが、この章の中にTeXの話が登場する。

 言うまでもないが、TeXは1980年代前半に登場した文書整形システムであり、D. E. Knuthによって作成されたコンピュータによる数式組版を得意とするソフトウェアである。もちろん、TeXが登場するまで、数学や物理学の英文原稿の作成には数式が含まれるので、タイプライターで数式の添え字を上下にずらしながらタイプした。さらにΣや∫が現れるとその場所にブランク挿入し、後でΣや∫を手書きする面倒な作業をしていた。その後、タイプライターの技術革新ともいうべきボールヘッド(最後には円盤になった)を持つIBMのタイプライターが登場し、それはギリシャ文字、記号など各種フォントのボールヘッドを取り付けたり取り外したりしてタイプできる優れものだった。しかし、この作業はなかなか大変で小生も学生時代の原稿作成は、この作業の繰り返しで、IBMのタイプライターに首ったけだった。ただ、タイプライターのボールヘッドの取り換えが結構面倒で、注意を怠ると、このボールを床に落としボールの下側のギザギザの部分が折れて、2度と使えなくなることであった。このボールの値段が高価だったこともあり、なかなか新しいボールを買ってもらえなかった覚えがある。IBMのタイプライターはとても重宝したツールであったが、当時の原稿修正の三種の神器は、何といっても、ハサミ、のり、紙であり、論文の訂正が生ずると、これらの出番となった。

 TeXの登場によって、数式を含む論文原稿の作成方法も格段に進歩した。ただ、数式の記述に関して言えば、WYSWYG形式ではないので、ユーザーにとって使い慣れないと少しオーバーヘッドが高いが、コンピュータプログラムだと考えれば、さほど問題はない。世の中では、plain TeXは少し使いづらいので、L. Lamportが開発したLaTeXが使われている。TeXはタイプセットした後の数式の出来上がりが、他の文書整形システムと比較して、格段に美しく出来上がる工夫がされている。次の数式は、S. Ramanujanの不思議なインドの旋律と呼ばれているものである[D. R. Hofstadter, Godel, Escher, Bach(1979, 1999)参照]。数式の中では、連分数が美しい数式の1つであると言われており、以下の数式は小生もお気に入りの1つである。もちろん、数式は著者にとっての重要な数学の表現形式なので、TeXでは図形の一種と考え、完全な自動化は行わず、基本的なコマンドのみ定義されている。よって、数式の記述はある程度著者の裁量に任されていることになるので、その記述には多少注意をはらう必要がある。

 TeXやLaTeXの登場によって、論文の校正は楽になり、印刷に携わる植字工や編集者の勘違いなどで数式の間違いはほとんどなくなったが、代わりに著者が植字工や編集者の仕事を代行する役割を担うことになった。ただ、論文や本の修正があまりにも簡単に出来るようになったので、最初の頃は出来上がりの美しさを追求するあまり、本文の内容ではなく、際限なく原稿の修正を行い、本来の目的である数式の意味する所とは全く違う形式的な体裁に注目する本末転倒の時期も無きにしも非らずだった。ただ、現状では、原稿作成の労力が全く減ったわけではない。著者は十分に意味のある内容で、さらに、ある程度、過去の印刷の名工が組版を作った出来上がりの良い読みやすい文書が要求されているので、原稿を作成する著者にある程度のプログラミングの技術が必要となって来ている。

 近年、研究者の世界では、紙の論文誌から電子的な論文誌、すなわち、e-journalに急速に移行している。たぶん、ここ5, 6年以内には、科学技術系の論文誌はすべてe-journalになるのではなかろうか。この場合にもやはり捨てられないのは、崇高な論文の内容を伝える過去の名工の技術を陶酔した美しい文書の出来上がりである。

 今から数えると十数年前に、津野海太郎氏は『本とコンピュータ』の中で、「ここ数十年の内に、紙の本は駆逐され、電子ブック(e-book)に移行する」と述べていたが、近年、その傾向は目覚ましいものがある。数百年前に、グーテンベルグの活版印刷が現れた時代に、手書きと活版印刷の間で是非の議論が盛大に行われたことがあると聞く。しかし、しばらくすると本の手書きは廃れ、活字を使った活版印刷が主流となった。現代でも、その時代と同様に、紙の本がよいか、電子ブックがよいかの議論が全くないわけでもない。共に利点はあるのだが、紙の本に関して言えは、本は購入した読者と共に歳を取る。人が年月を重ねると、だんだん歳を取っていくように、紙の本も手垢で汚れて紙が変色したり、カビが生えたりして、だんだんと読む人と共に歳を重ねていく。電子ブックには、このような実態がなく、いつまでたってもクリーンなままだ。どうしたらよいのだろうか。

 紙の本は、今までの社会に適合する物理的な特性を沢山持っていたので、たまたま現在まで残って来た物なのかもしれない。また、本作りに関して言えば、数百年の間行われて来た組版の時代が終焉を迎え、電子の時代に突入したことで、我々の思考方法にも多少変化が現れ始めているのではないだろうか。

 現在では、ネットワークにアクセスできれば、emailもSNSも検索も、さらにお買い物だって自由に出来る。さらに、本屋さんや図書館に行かなくても、簡単な操作で電子ブックや電子ジャーナルを入手できる便利な世の中になった。しかしこれがはたして「本当に私たちは幸せです」と言える世の中になったのかと考えると疑問が残るのも事実である。

最終更新日: 2013年11月12日

内容はここまでです。